そのくらいは考えてほしいなって

 

 

あなたが思う現代社会の問題点はなんですか?という設問に対して真っ先に浮かんだのが、「他人の指標で生きている人間が多すぎる」ということだった。中学生が何人かと連れ立っておトイレに行くこともそうだし、会社の大きさとか大学のネームバリューとか、自分自身のものさしではなく他人の意見や評価を軸にして行動する人たちが多いこと。でもその次の設問で、じゃあそれに対する解決策を具体的に教えてください、と問われたときに、考えてしまった、この問題に解決策なんてあるのだろうか。こんなのってその人自身が自分で何かを感じたり気づきがあったりしないと変えられないことであって、そもそもその人が他人指標で生きることについて自分自身を納得させていて、それに満足しているのなら、実際のところ何の問題もないんじゃないかなあ、なんて思った。他人の指標で生きること、周囲の波に流されながら生きることの、何が問題なんだろう。これは社会の問題点なんかじゃなくて、ただ単純に私が嫌だなあとほんのすこし鼻につくタイプの人間の話なんじゃないかと思えてきて、だから私はそれをエントリーシートに書くのをやめた。頭を白紙にして、いちから社会の問題について考え直す。空欄はまだ埋まらない。

 

でも今はこんな平穏さを失った世の中だから、やっぱり考えてしまうんです。こんなときでも平気で人ごみの中に飛び込んだり、良識の範囲を超えた買いだめをしたりする人たちって、その感性はこの日本的な他人指標で生きようとする傾向や性質によって生まれてしまったものなのかなあ、なんて。自分なら大丈夫ってふと他人事のように思っちゃう瞬間があるのもわかるし、問題に向き合ったが故に心配になってしまう気持ちだってわかる。でもどうしてそんな身勝手で自分本位のことができるのかなあって思ってしまうのは、私がこんなおバカなウイルスとは程遠いド田舎に住んでいるからなのだろうか。もしも大都市トウキョーに住んでいたら、私だってかごいっぱいにインスタントラーメンをつめこんで、スーパーの什器をからっぽにしてしまうのだろうか。そうじゃない、と願いたい。

 

私は基本的に他人に首を突っ込みたくないし、じゃあその代わりにあなたも私に首を突っ込まないでいてね、と常に願っているスタンスなのだけれど、でもどうしても今回ばかりは「他人の指標で生きている人間が多すぎる」ことについて、これは社会の問題点なんじゃないかって思わざるを得ない。その人がその人の人生をどう生きるのかなんてほんとうになんでもいいんです、結婚とか就職とか明日のランチは何を食べるのかとか、そういうあなた自身の決断についてはほんとうにどうでもいいんです。でも、今だから。こういうときばっかりは、なんだか口を出したくなっちゃうよ。やっぱりあんたらそういうのよくないよって、明らかに自分だけの問題じゃないんだから、さすがにそのくらい考えてよって、周りがどうとかじゃなくてさ、していいこととかしないほうがいいことの判別くらい、自分でしてよって、ちょっと首をつっこんで言いたくなってしまうんです。でも、ただそれだけ。ただそれだけで、じゃああなたはこの問題をどうやって解決するんですか?なんて聞かれたら、私は何も答えられない。答える術なんて何にもないし、解決策なんて知ったこっちゃない 。

だからやっぱり、私はこれをエントリーシートに書いてみようなんて、そんな賭けは絶対にしないんだけど。