街が好きな理由

 

 

関東に引っ越してきて、一年以上が経つ。今住んでいる街にも愛着がわいてきた。恋人が住んでいる街にも、よく飲みにいく街にも、たまに散歩しに行く海辺の街にも。思えばここは、昔から住んでみたいと願った都市だった。自分から選び取ったわけではなく、外的要因によってここに連れられてきたことを、勝手に運命のように感じている。

 

どこの街にも歴史があり、今でもその片鱗を見るたびに好奇心とノスタルジーでふわふわした心地になる。地元のターミナル駅を思い出した。高校3年生の頃、ちょうど新幹線の開通に合わせた大規模な再開発が進んでいた。仮駅舎は無機質で余計なものがなく淡々としていて、こじんまりとした中にお土産ショップが並んでいた。改札を抜けるまでの間はいかにも工事真っ只中のスロープをくぐり、それからよく駅前の図書館まで勉強しにいった。大学生になるタイミングで駅は少しずつ新しく、大きくなり、自分の未来への希望とこの土地にやってくる新たな未来を重ねていた。そんな環境も含め、何もかもが前向きだった。追い風のように思えた。地元を出たくてたまらなかったはずなのに、それでも新鮮な気持ちでいられたのは、新たな進路を歩む自分とあの街の発展がきれいにリンクしていたからかもしれないな、と思う。

 

今の整備された駅も好きだけれど、私はあの高校生の頃に見た景色を今でも思い出す。失われていく昭和のノスタルジーに寂しさを感じるのはもちろんだけれど、私が毎日を懸命に生きていた平成ど真ん中の景色だって、少しずつ壊され、そして姿を変え続けている。プリクラを撮りに行った駅前のゲームセンター、レトロな喫茶店で食べたオムライス、放課後に行ったミスド。今はないあの景色のことを思う。

 

 

 

繊細さなんて好きになれるわけないが、私が好きになるしかない

 

なんか仕事忙しすぎたときに会社のコンプラアンケートに答えたんだけど、匿名だと思って正直に答えたらあまりにも回答が正直すぎたらしく、内部監査の人から心配と問い合わせのメールが来ちゃいました。あなたの職場、大丈夫?あなたはしんどくない?って。私、今は全然時間があるし仕事の責任もそんなに重くないから、私はいま全然大丈夫ですー(当時突発的にしんどかっただけ)って答えたんだけど、でも、周りの先輩たちはそうはいかなくて、彼らは常に膨大な業務に追われていて、個々の業務負荷が高くて、だからそれだけは心のどこかでなんか心配というか、この人たちこのままで大丈夫か?って思ってたんですよ。ただそれを、内部監査の人にこっそり言っていいものなのか、すごく迷った。先輩たちは常々残業しながら「しんどい」と言って傷をなめ合ってるし、退勤しますと連絡が入った後でメールが来ることも、ほんと真夜中にPCログインしてる形跡も全然ある。だけど、冗談めかして「しんどい」「異動したい」「辞めたい」と言うことはあっても、まじの声を上げることはしていない、だから、私が利己的な心配と正義感ゆえに変に声を上げることで、 "彼らにとって望まない状況" に事態を変えてしまうのは嫌だなと思ったんです。

 

彼らは本当にしんどいのかもしれないし、部署異動したいかもしれないし、やめたいのかもしれないけれど、そうして外的要因によって勝手に状況を変えられるのだって嫌かもしれないなと思うんです。波風立てるくらいならこのままでいいんだ、みたいな、そういう思いがもし彼らの根底にあったとしたら、私が試みている告発なんてただの有難迷惑じゃないですか。

 

なんかやっぱり、私は彼らじゃないからわからないんですよね、彼らのリアルな感情も温度感もしんどさのレベルも、辞めたさのレベルも。でも、まあ本当の本気だったら何が何でも動きだすと思うから、私が出る幕なんて本来は何もないと思うんですけど (とは言いつつ人に頼るのが苦手な身としては、誰かに手を差し伸べてもらって本当に助けられたこともあるから難しい) でも、やっぱりみんながヒーヒー言ってる現実って健康的じゃないし、尚且つ私も過去に怒涛の業務に追われ手しんどすぎる時期があったから、なんだか放っておくにも放っておけない気持ちもぬぐえなくて、一週間くらい返事をせずに寝かしてた。

 

つい最近、いつも通り先輩たちが仕事のしんどさを嘆く雑談が始まったので、「そういえば私、内部監査の人からメール来たんですよね」と話題のネタにしてみた。「心配事あれば教えてくださいって言われたんですけど、書いちゃってもいいですか笑」と冗談半分で聞いてみたら、「書いて書いて、ただ勤怠記録がウォッチされるような面倒くさいことはあんま書かないで笑」と言われたので、私はそれで自分の中で落としどことをようやく見つけることができました。あくまで他人として、他人の目から見て先輩たちが大変そうであると、本人たちがどう感じでいるかはわからないが、無理をされているなら心配ですと、そう書いて返事をした。

 

これで事態が解決するかどうかなんてわからないし、はたから見た解決が誰しもにとって納得のいくものになるとは言い切れない、むしろみんなが100%納得するような結論を出すなんて不可能なんだし、だから優しさですべてのひとをカバーして助けようと思うこと自体が傲慢だと思う。それでも、そうはわかっていても、考えすぎる私はやっぱりいつも通り考えすぎてしまうし、考えすぎて起こした行動に対して、いつも後悔したりする。それでも、何もしないよりはマシなんだって、自分自身の変な優しさと気遣いを私だけは肯定してたいよ。変に気づく自分も時に他人を必要以上におもんばかってしまう自分も、唐突にそういう気遣いやねぎらいの言葉を発するから大体ちょっと驚かれてしまうやばい人みたいな自分も、そういうのが嫌だから何も気にしないふりして奔放ぶってる自分も全部全部気持ち悪いけれど、でも、そういうところが多分、私にしかないものなんだろうと思うから。

 

 

アイディアマルチタスク症候群

 

 

いつも怠惰な私ですが、ゾーンに入るときはたまにあって、そういうときって今まで蓄えてきたインプット同士が急に脳内で手を結んで繋がりあうから、「え、ちょ、待って」と言いながら早急に浮かんだことをこうして文章に落とし込むんですね。そうすると今書いているトピックとは別で「あ、これも書きたい」というのが出てくるので、またCtrl+T押して新しいタブを出現させちゃうわけです。手段が目的化する自分の特技(であり短所)が如実に表れていて面白い。自分の思考に振り回されてあたふたしながら、気持ちよくなってしまう。今名付けた、これを「アイディアマルチタスク症候群」と呼ぼう。