On the Way Back

 

 

 

今朝、住んでいる家のヘルパーであるおばあちゃんが作ってくれたチキンカレーを食べて、家を出た。そんなに沢山の人と関わったわけではないけれど、それでも私のシンガポール生活を語る上で欠かせないんだろうなと思う人たちには幸いにして何人か出会えた。それでも、その日の朝、そのおばあちゃんとお別れをする瞬間が誰とお別れをするよりも一番悲しくて、寂しくて、涙が出そうになった。彼女とはそんなにべたべたと親密だったわけではなく、私が料理したいときにキッチンに行くといつもニコニコして話しかけてくれた、でも彼女は英語があまりできないから、会話という会話もままならなかった、そんな関係。彼女のWhatsappも知っているし、今後も連絡だって取ろうと思えばいくらでも取れる。でもすごく寂しかったのは、きっと私の日常にぴったりと入り込んだ彼女の存在のことを思っているからだろう。連絡取ればいいじゃん、また会いに行けばいいじゃん、なんて、そんなのでは絶対に解決できないようなもの。あの家の、あのキッチンで微笑んでくれるその時間と、その存在。それが私にとって愛おしいもので、私がまたあの家に戻らない限り、そして彼女がそこに居続けない限り、それはきっと今後何があっても一生手に入らないものである。だから、悲しい。

 


私にはそんな日常の一場面ずつがたまらなく大事で、愛おしくて、だからこそシンガポールを離れるのは言葉にならない寂しさと悲しさがある。でもそれはどうやったって処理しきれないものだ。人が恋しいならその人に会えばいい。連絡を取ればいい。でも違うから、人そのものよりも、私は環境が恋しいから、そしてそれに対する諦めもきちんとあるから、そんなどうしようもないことで嘆いて涙を流したって仕様がないじゃないかと干からびた気持ちが生まれる。だって本当に、泣いたってどうにもならないもの。だから私は、おおそれた雰囲気なんか一切出さずに、普段通り日々をやり過ごすように今日も生きている。あっけらかんとした顔でシンガポールを離れ、薄暗い飛行機の中で理性と感情の入り混じった自分の胸中をメモに書き殴っている。そうしていると、ここで過ごした6ヶ月は夢だったんじゃないかと、馬鹿みたいだけどドラマのセリフみたいだけど本当にそんな気がしてくる。色々なことがあったはずなのに、いざ現在地に立ってみるとまるで何もなかったみたいで、日本を離れたあの日と日本に戻る今日との間に流れる月日の計算が全然うまくできなくて、時間の感覚がかなり狂う。

 


飛行機がそろそろ日本に着く。私は機内で読んでいた本の内容も相まって、なんだかすごく切ない気持ちでいる。あっけなく帰ってきたここは、寒い。あのじっとりとした執拗な暑さが染み付いていたはずなのに、この寒さを安易に受け入れてしまう自分の体が悲しい。私はこれから起こることの全てを、そうやって当然のことのように違和感も疑問もなく受け入れていくんだろうと思ったら、この半年間で私の中に積み上げられたものたちは一体なんだったんだろうと、すごく不思議な気持ちになる。久しぶりに帰る実家だってきっと当たり前のようにただいまと言えるんだろう。そんな帰る場所がある安らぎと幸せを頭ではわかりながら、私はそうやって自分の中で愛おしいものであったはずの何気ない毎日を、その感覚を、あっという間に忘れてしまう自分が嫌でしょうがない。でも環境なんてきっとそんなものだし、環境にもたらされる何かに私はこれからも抗えないんだろう。何か新しいことが待っているはずのこれからの人生の中で、やっぱりもう一度、とは言わずに何度でも、私は旅をすることをきっと諦めきれないんだろうな。

 

2020.03.11 Wed