花束みたいな恋よりも、雑草同士が惹かれ合う恋がしたい

 

 

『花束みたいな恋をした』


この映画を見てからずっとしんどくて、しんどくてしんどくてたまらなかった。一つの恋の始まりと終わり、きれいなオチでぶつ切りのラブストーリーが終わるのではなく、この2人はこれから先も生きているのだろう、その彼らの人生の数年分を、ただこの目で見つめていた感じ。ぶつ切り感は全くなかった。この恋があったのも彼らの人生の一部であると、良くも悪くもスルッと入り込んでくるようなお話。

 

麦くんと絹ちゃんは、あまりにもおんなじものを共有しすぎていた、同じであることが好き、の象徴だった。何かを分かち合うことで、好きの深さがどんどん深まっていた。


思い出すことはたくさんあったし、今の自分に重なる箇所もあった、それはもう、たくさん。キッチンでも寝たしコタツでも寝た、というくだりが出てきたときは、横にいた好きな人の方を思わず振り返った(彼はこちらに見向きもせず、笑ってヒジを一発いれてきた)


観に行く前に皆んなの感想をツイッターで見ていたら、これはカップルで観るとしんどいかも、とか、カップルで観た人たちはどんな感想を抱くんだろう、とか、そういった類のコメントが割と目に止まった。私は結論、好きな人とこれを見てよかった、と思う。私たちは今まさに、花束みたいな恋の「買いたて」の段階だ、買ったばかりの花束みたいな恋を、まさにしている2人なんだ、と思った。どちらかといえば映画の前半部分の2人に大きく重なって、あーわかるよその感じ、なんて思いつつ、それでも共同性羞恥心で死にたくなる、でもその羞恥心が湧くくらいには、出会ったばかりの麦くんと絹ちゃんと、今の私たちは似通っているんだろうな、と思った、わりと冷静に。

 


私は彼が過去にどんな恋愛をしてきたのか、それはわからないです。麦くんと絹ちゃんみたいに、運命的な出会いで恋に落ちたことがあるのかな、そしてその熱がことごとく冷めて、干からびた恋愛の終わりを経験したこともあるのかな。わからないし、わざわざ聞こうとも思わないし、でも、過去にそのような経験があったなら、映画を見て思い出すことや感じることがあるだろうし、過去にそのような経験がないのならば、映画を見ることで、熱烈な恋の始まりにも、ああやってどうしようもない終わりがくる可能性があるんだって、そういうのを感じてもらえるだろう、と思った。

 


年下の彼だから、大学生の彼だから、正直それが少し怖かった。年齢とかで推し量るのはおこがましいの、本当にそうなんですけど。でも、私は絹ちゃんの気持ちがすごくわかる箇所があって、それは彼女が、麦くんのことを好きでいながらも、永遠なんてないって心のどこかでずっと思っているところ。麦くんはその点、絹ちゃんに比べるとその辺の意識はたぶん薄くて、絹ちゃんと「現状維持」したいんだって笑ってた。私は彼にもその部分がありそうで、永遠とかいう言葉も冷めていく恋もその生々しさも残酷さも、若いからこそ、今熱しているからこそ、そのあたりの意識や実感が薄いのかもしれないなって、そう思うとすごく怖かった。でもそれを、まじで永遠とかないからね、なんて、私が偉そうに語るのはおかしい話だし、私だって永遠はないとか思いつつも、好きな人とはずっと一緒にいれたらいいのに、ずっと好き同士でいれたらいいのに、なんて、やっぱり思ってしまうから。だからこそ、こういったことを言葉にするのは難しくて、したくもなくて、でも、だからこそ、こういう映画という形で、そんな恋の一部始終を2人で見れて、本当によかったんだろうな、と思う。

 


映画を見てから自分たちの関係性について、ずっとずっと考えている。私は昔もこのように他の人と恋に落ちて、そして別れて、そしてまた別の人を好きになって、を今まで繰り返してきていることに気が付いて、そんな自分の能天気さを強いなぁと思うとともに、そんな事実がしんどくてたまらないよ。だって、今好きなのは、彼だもん。変えられないのに、いつか恋に終わりが来るんだと思うと、そしてそれをいずれは難なく受け入れて、他の人を受け入れてしまう可能性があるんだと思うと、しんどい。そんなの考えられないし、信じたくない、でも、1番の参考文献は自分自身で、自分が1番の証拠なんだ。しんどすぎる。そういう恋愛の始まりと終わりを、何度も何度も繰り返したって、私は今馬鹿正直に1人のひとが好きで、永遠なんてないとわかりつつも、その人とどうにかして、ずっと、少しでも長く一緒にいられないかって、その術を探し出そうとしている、何かに理由をつけて、これとこれは麦くんと絹ちゃんと違うから、私らは長く一緒にいれるかもしれない、なんて、考えてしまっている、本当にバカだ。彼と一緒にあの映画を見れて、すごくよかった、よかったけれど、あまりにもすべてがリアルすぎて、だから私は、花束みたいな恋がどうしたら、花束みたいじゃなくなるのか、枯れたりダメになったりするのを避ける術はないのだろうか、映画の結末をどうにかして変えられないだろうか、なんて、考えてしまっている。

 


せめてもの思いで挙げるとしたら、私と彼は麦くんと絹ちゃんとは、全然違う、趣味は全然合わない、と思う。お互いの好きなものは全然違うし、そういうので話があった試しがない(BTSくらい)私は相手が誰であろうと、自分の好きを守りたいと思うし、その代わり、適切な距離感で、相手の大切にしたいものも、相手の熱量とかそのままの形で、何も邪魔せず尊重したいって、同じくらいの気持ちで思ってる。同じだから好き、分かち合えるから好き、なんてことはなくて、違うけど、一人がベースだけど、一人でも楽しく生きていけるけれど、あなたといたらもっと楽しいから、私は一緒にいたいよって、そう思いながらこれからも生きていたいし、そういう気持ちを大切にしていたい。そもそも最初から、花束なんかじゃなければいい、と思う。その辺の雑草でもサバンナを闊歩するハイエナでも、なんでもいいんです、それぞれが自分の暮らしや生活を持っていて、好きなものや守りたいもの、大切にしたいものがあって、それをベースに生きている、そんな2人があえて結びつく、そんな恋がしたい。というかそれは、きっと恋とも少し違う。恋は求め合いばかりになるけれど、私はそれはしたくなくて、ただそれぞれの生き方を、のびのびと実現できるような、お互いに尊重できるような、そんな関係を築けるように、私も相手も、努力できるような、そんな人と一緒になれたら、きっと幸せなんだろう、と思う。そして今の彼は、すごく優しいから、それが実現できるんじゃないかなって、この人とならうまく行くんじゃないかって、馬鹿正直に思ってしまう、未来を期待してしまう、なんて、そんな私がやっぱり一番、花束よりも浮かれてる、典型的な「恋に盲目」野郎なんでしょうか。